母抜きの週末
この土日、私一人で実家に帰っていました。(四国です)
家庭に嫌気がさし、「実家に帰らせていただきます~!」ってわけではありません。
ちょっと実家で話し合いがあり、子供たちがいるとゆっくり話もできないので、私だけで・・・・・ということになりました。
子供を置いて泊まるというのは初めて。
もちろん陸を出産の時は、脩はお父さんと家にいたのですが、二人ともダンナさんに任せてというのはかなり思い切った行動。
二人とも大きくなったので、私もそんなに心配ではなかったし、お昼にでて翌日のお昼に戻ってくるという感じだったのでまぁいけるかなと・・・・。
子供にも話はしておいたので、泣くわけでもなくスムーズでした。
いやぁ~、一人でのる飛行機。
なんて自由なの。
荷物も少ないし。
「寂しい~」とは思わず、「幸せ~」と思ってしまった私は鬼母か。
空港に着くと兄が迎えに来てくれ(兄も家族をおいて関西から来ました)、家には妹も戻っており、こんな状況は大学生以来!?という感じでした。
実母は6~7年前から半身不随になってしまい、自分で歩くことはできないのですが、夕食はみんなで出かけ外食を楽しみました。
大人ばかりで人数がいると、車と車椅子を使って行動範囲も広がりますから。
本題は「食事」ではないのですが、普段夕食を2時間もかけて食べないので、こんなにのんびり食事をしたのも私にとって久しぶりかも~と思いました。
実家に子供を預けて夫婦で食事・・・・・なんて今までありえなかったしね。
そして家に戻り、「家族会議」。
今は父と母だけで暮らしているので、今後の生活のことや父の仕事(自営業)のことについて夜中まで話しました。
思えば、我家は何か大事なことがあるたびに「家族会議」を開いていたように思います。
父がサラリーマンをやめ、自分で仕事をすると決めた時も、小・中学生だった私たちに意見を聞いてくれました。
その父が心筋梗塞や癌で倒れた時も、家族や兄妹で話し合いました。
その家族もお互いそれぞれに家族を持ち、今度は自分の家族を守っていく番になったのですが・・・・。
みんな住むところもバラバラになり、駐在にでたりして会える時間も減ってきたし、孫たちも5人に増え、ゆっくり大人で話し合うってこともできなくなっていました。
うちも子供が小さかったので、母の介護さえも十分にしてあげられなかったし・・・・。
今回は両親の意見もゆっくり聞け、家のこと、生活のこと、もっと先の老後のことなど親の思いと子供の思いを話し合えた気がします。
30になっても40になっても両親から見ると子供は子供。
でもその子供も「子供を育てる親」になっているんですよ。
もっと相談に乗れることもあるし、助けられることもあるんじゃないかな。
慌しい里帰りだったけど、意味のある里帰りだった気がします。
そして私がいなくても頑張っていた脩と陸。
空港にお迎えに来てくれて「さみしかったよ~」と笑顔で話してくれました。
快く快諾してくれたダンナさんにも感謝です。
(結局ダンナさんの実家に泊まったらしいのですけれどね)
年をとるのは順番です。
両親の姿を見て私が育ち、私たちの姿をみて子供たちが育つ。
どういう子供に育てたいかと考えるより、自分がどう生きていくかが一番の手本なのではないかなと思った一人旅でした。
家庭に嫌気がさし、「実家に帰らせていただきます~!」ってわけではありません。
ちょっと実家で話し合いがあり、子供たちがいるとゆっくり話もできないので、私だけで・・・・・ということになりました。
子供を置いて泊まるというのは初めて。
もちろん陸を出産の時は、脩はお父さんと家にいたのですが、二人ともダンナさんに任せてというのはかなり思い切った行動。
二人とも大きくなったので、私もそんなに心配ではなかったし、お昼にでて翌日のお昼に戻ってくるという感じだったのでまぁいけるかなと・・・・。
子供にも話はしておいたので、泣くわけでもなくスムーズでした。
いやぁ~、一人でのる飛行機。
なんて自由なの。
荷物も少ないし。
「寂しい~」とは思わず、「幸せ~」と思ってしまった私は鬼母か。
空港に着くと兄が迎えに来てくれ(兄も家族をおいて関西から来ました)、家には妹も戻っており、こんな状況は大学生以来!?という感じでした。
実母は6~7年前から半身不随になってしまい、自分で歩くことはできないのですが、夕食はみんなで出かけ外食を楽しみました。
大人ばかりで人数がいると、車と車椅子を使って行動範囲も広がりますから。
本題は「食事」ではないのですが、普段夕食を2時間もかけて食べないので、こんなにのんびり食事をしたのも私にとって久しぶりかも~と思いました。
実家に子供を預けて夫婦で食事・・・・・なんて今までありえなかったしね。
そして家に戻り、「家族会議」。
今は父と母だけで暮らしているので、今後の生活のことや父の仕事(自営業)のことについて夜中まで話しました。
思えば、我家は何か大事なことがあるたびに「家族会議」を開いていたように思います。
父がサラリーマンをやめ、自分で仕事をすると決めた時も、小・中学生だった私たちに意見を聞いてくれました。
その父が心筋梗塞や癌で倒れた時も、家族や兄妹で話し合いました。
その家族もお互いそれぞれに家族を持ち、今度は自分の家族を守っていく番になったのですが・・・・。
みんな住むところもバラバラになり、駐在にでたりして会える時間も減ってきたし、孫たちも5人に増え、ゆっくり大人で話し合うってこともできなくなっていました。
うちも子供が小さかったので、母の介護さえも十分にしてあげられなかったし・・・・。
今回は両親の意見もゆっくり聞け、家のこと、生活のこと、もっと先の老後のことなど親の思いと子供の思いを話し合えた気がします。
30になっても40になっても両親から見ると子供は子供。
でもその子供も「子供を育てる親」になっているんですよ。
もっと相談に乗れることもあるし、助けられることもあるんじゃないかな。
慌しい里帰りだったけど、意味のある里帰りだった気がします。
そして私がいなくても頑張っていた脩と陸。
空港にお迎えに来てくれて「さみしかったよ~」と笑顔で話してくれました。
快く快諾してくれたダンナさんにも感謝です。
(結局ダンナさんの実家に泊まったらしいのですけれどね)
年をとるのは順番です。
両親の姿を見て私が育ち、私たちの姿をみて子供たちが育つ。
どういう子供に育てたいかと考えるより、自分がどう生きていくかが一番の手本なのではないかなと思った一人旅でした。
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